Support Vessels

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
UFOなど超常現象に遭遇した事柄です
※cwtはハンドレッドウェイト(hundredweight)の略で、1cwt=45.3592kg
甲板長:22.06m 幅:6.82m
※ブリッグで8門砲艦
※物資輸送船
艦名 NAME 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
フランクリン Franklin フィラデルフィア 1805/6 ◎1795 建造
◎1802 トリポリの海賊のブリッグを拿捕
◎1805/4/27 トリエステにて購入
◎1805/7 storeshipとなる(〜1805/9)
◎1805秋? ワシントン海軍工廠にてオーヴァーホール
◎1807/3/21 ニュー・オーリンズにて売却


排水量:325t 満載排水量:392t 垂線間長:32.00m 幅:8.83m 吃水:3.35m 兵装:12ポンド砲2門、32ポンド・カロネード砲18門 乗員:100名
※ブリッグで2門砲艦
※物資輸送船
艦名 NAME 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
アラート Alert Howdenpoint 1812 ◎1803 建造
◎1804 給炭船Oxfordをイギリスが取得し、アラートと改名
◎1812/8/13 東海岸にてアラートを拿捕し、storeshipに改装
◎1818 ノーフォークにて宿泊艦になる
◎1829 ノーフォークにて破壊処分


排水量:338t 乗員:25名
※2門砲艦
※物資輸送船
艦名 NAME 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
グリニッジ Greenwich 1813/5 ◎1813/5/28 ガラパゴス諸島にてイギリスの捕鯨船(他国商船拿捕免許状)を拿捕し、storeshipに改装
◎1814/6/19 Marquesas島にてイギリスに拿捕されるのを防ぐため焼却処分


排水量:260t 乗員:90名
※スクーナーで12門砲艦
※物資輸送船
艦名 NAME 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
トム・ボウライン Tom Bowline 1814末 ◎1814 ポーツマスにてスクーナーを購入し、storeshipとなる
◎1818 売却


※スクーナーで2門砲艦
※物資輸送船
艦名 NAME 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
デコイ Decoy ニュー・ヨーク 1822 ◎1822/12/27 ニュー・ヨークにてスクーナーZodiacを購入し、“モスキート・フリート”のstoreshipとなる
◎1826/1上旬 売却


排水量:468t 垂線間長:33.22m 幅:9.14m 吃水:3.65m 兵装:18ポンド砲4門、12ポンド砲2門(1862年7月には30ポンド・マズルローディング・ライフル砲1門、32ポンド砲(33cwt)2門。1864年10月には32ポンド砲(33cwt)1門)
※シップで6門砲艦
※物資輸送船
艦名 NAME 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
リリーフ Relief フィラデルフィア海軍工廠 1836 ◎1835 起工
◎1836/9/14 進水
1839/3中旬 Noir Islandにて難破
◎1839/4/15 Valparaisoにて修理
◎1839/6 Callaoにて改装
◎1840末 ニュー・ヨークにて修理、オーヴァーホール
◎1855/11/20 退役、オーヴァーホール
◎1856/2/19 再役
◎1863/12/5 退役、ボストンにてオーヴァーホール
◎1864/4/29 再役
◎1866末 ニュー・ヨークにて改装
◎1871 ワシントンD.C. にて宿泊船となる(〜1877)
◎1878 ワシントンD.C. にて係船
◎1883/9/27 J. B. Agnewに売却


垂線間長:35.69m 幅:9.87m 吃水:5.21m 兵装:9ポンド砲4門
※スループで4門砲艦
※物資輸送船
艦名 NAME 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
エリー Erie Thomas Kemp 1814/3 ◎1840/7 チャールズタウン海軍工廠にてarmed storeshipに改装(〜1843/2)
◎1845/11 ニュー・ヨークにて修理
◎1850/11/26 売却


排水量:567t 全長:47.54m 幅:8.26m 吃水:5.18m 兵装:42ポンド・カロネード砲2門
※シップで2門砲艦
※物資輸送船
艦名 NAME 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
サザンプトン Southampton ゴスポート造船所 1845/5/27 1855/4/6 ◎1845 1841年10月起工、1845年進水の外輪船を購入し、store shipに改装
◎1846/12中旬? 退役、ゴスポート造船所にて修理
◎1847/2/9 再役
◎1850/9/15 ニュー・ヨークにて退役
◎1852/11/4 再役
◎1855末 民間に売却され商船となる


排水量:800t 全長:48.76m 幅:9.78m 吃水:5.05m 兵装:24ポンド・カロネード砲4門 乗員:37名
※バークで4門砲艦
※物資輸送船
艦名 NAME 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
フレドニア Fredonia Newburyport 1847/1/5 ◎1846/11/14(1846/12/14?) 1845年建造のバークを購入し、storeshipに改装
◎1850後半? Valparaisoにて応急修理
◎1851/1/18 退役、ニュー・ヨーク海軍工廠にて改装
◎1852? 再役
1868/8/13 ペルーのアリカにて地震による津波により難破(アリカ地震)


排水量:547t 兵装:24ポンド・カロネード砲4門(1861年7月には32ポンド砲(27cwt)4門。1862年8月には12ポンド・ライフル砲1門を増強。1863年5月には20ポンド・マズルローディング・ライフル砲4門、24ポンド榴弾砲2門) 乗員:40名
※シップで4門砲艦
※物資輸送船
艦名 NAME 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
サプライ Supply Ewell 1846/12/19 1879/4/23 ◎1846末 ボストンにて1846年建造のシップを購入
◎1846/12/8 引き渡され、チャールズタウン海軍工廠でstoreshipに改装
◎1848/12/17 ノーフォークにて退役
◎1849/2/17 再役
◎1849/9/4 ノーフォークにて係船(〜1849/11/29)
◎1868/6/27 係船(〜1869/11/5)
◎1870/7/7 ニュー・ヨークにて退役
◎1871/2/21 再役
◎退役後、フィラデルフィアへ曳航、係船
◎1884/5/3 Great NeckのM. H. Gregoryに売却


排水量:248t 全長:30.48m 幅:7.62m 吃水:3.35m 兵装:砲2門 乗員:21名
※バークで2門砲艦
※物資輸送船
艦名 NAME 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
エレクトラ Electra フィラデルフィア 1847/3/19 1848/10/27 ◎1847/1/15 フィラデルフィアにて1843年建造のバークRollaを購入し、エレクトラと改名、ニュー・ヨーク海軍工廠でstoreshipに改装
◎1848/11 ニュー・ヨークにて売却


排水量:327t 全長:34.71m 幅:8.29m 吃水:3.62m 兵装:32ポンド砲2門(1861年には32ポンド砲(27cwt)2門。1863年2月には30ポンド・ライフル砲1門、12ポンド・ライフル砲1門を増強) 乗員:85名
※バークで2門砲艦
※物資輸送船
艦名 NAME 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
リリース Release Brown & Lovell 1855/4/3 1865/10/6 ◎1855/4/3 ボストンにて1853年建造のバークEringolを購入し、storeshipに改装
◎1865/10/25 ニュー・ヨークにて売却され商船Restlessとなる
◎Arctic expedition, 1855. Paraguay Expedition, 1859.


排水量:144t 全長:26.82m 幅:6.67m 吃水:2.59m 乗員:17名
※ブリガンチン
※補給船

↑USS Advance (foreground) in 1850, following USS Rescue at the Brooklyn Navy Yard. Image from p.410 of the book The frozen zone and its explorers; a comprehensive record of voyages, travels, discoveries, adventures, and whale fishing in the Arctic regions for one thousand tears. Authors Alexander Hyde (1814-1881), Abraham Chittenden Baldwin (1804-1887) joint author William Leonard Gage (1832-1889), joint author Charles W. Shields (1825-1904). Publisher Columbia Book Company, Hartford, Conn., 1874. Image courtesy of NavSource.

艦名 NAME 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
アドヴァンス Advance New Kent County ◎1850/5/7 1847年以来凍てつく北方に取り残されていたジョン・フランクリン卿 Sir John Franklinの北極探検隊の捜索に参加するため、1847年建造のブリガンチンをヘンリー・グリンネル Henry Grinnellより借り、改装
◎1850/5/23 エドウィン J. ド・ヘイヴン大尉LT. Edwin J. De Havenが艦長、レスキューとともにニュー・ヨークを出航
最初の航海で嵐に見舞われ、2隻は離れ離れになるもDavis StraitからBaffin Bayに抜けるグリーンランド西岸にあるDisko Islandに無事到着(アドヴァンスは6月24日に、レスキューはその3日後に到着した)
◎29日、2隻の船はBaffin Bayに入り、Baffin Islandの北、Devon Islandの南に位置するLancaster Soundを目指した。 7月1日、アドヴァンスはHaroe Island沖で流氷に遭遇。1週間後、レスキューとともにUpernavikの北で流氷に捕まった。その後3週間、2隻の船は氷の隙間を縫うように航行した
◎29日、氷塊を取り除き、Melville Bayを横断してLancaster Soundへと航海を続けた
◎8月19日、2隻の船は海峡に入り、その日、アメリカ人と同じ任務に就いていた2隻のイギリス船と遭遇した。 その晩、嵐が吹き荒れ、アドヴァンスとレスキューは離ればなれになってしまった。 翌日、風は弱まったが、霧が濃くなった。アドヴァンスは仲間の捜索を開始した
◎8月25日には、Devon IslandのCape Riley沖に到着し、上陸隊を派遣してフランクリン遠征隊の行方を捜索した。上陸した探索隊が、正体不明の一団のキャンプ地を発見している最中に、アドヴァンスは強い潮流に流されて座礁してしまった。イギリス船Prince Albertが救助を申し出たが、ほぼ同時にレスキューが現れた。さらに、アドヴァンスは荷物を軽くし、自力で離礁に成功した
◎8月26日、2隻の船はCape Spencerの北を捜索するため、Wellington Channelを通ろうとした。しかし間もなく、北への道は強固な流氷の塊に阻まれたため、慎重に南下し、Point Innes付近まで戻ってきた。そこでアメリカ人は再びイギリス人と遭遇し、さらにフランクリン一行が近くでキャンプしていた事を示す証拠も発見した。この発見と天候の好転に気を良くした彼らは、再びWellington Channelへと向かった。Beechy Islandでは、全捜索船が入り江(現在のUnion Bay)に集まり、連携した捜索を計画した その間に、上陸した一団は3つの墓と“行方不明の遠征隊(フランクリン)がここで最初の冬を過ごしたことを示す紛れもない証拠”を発見したのであるそこで、レスキュー隊とともにWellington Channelに入り、捜索を続けたが、流氷が2隻に迫ってきた。流氷から逃れようとするが、天候が悪く、レスキューは舵を損傷してしまった
9月中旬には、流氷に飲み込まれてしまった
◎冬の間、アドヴァンスとレスキューは漂流する流氷に翻弄された。9月から10月にかけては、Wellington Channelを漂流し、Devon Island北部の半島を発見、探検隊の恩人にちなんでグリンネルと名付けた
◎11月、風向きが変わり、Beechy Islandを行ったり来たりしている
◎12月、船体はLancaster Soundを通過し、1851年1月14日にBaffin Bayに再突入した。 しかし、閉じ込められたのが終わるのは6月上旬である
◎5月にDavis Straitを通過し、6月の第1週の終わりごろから船体が崩れ始めた
◎1851年6月7日、修理されたレスキュー隊が荷を片付ける。翌日には前進を開始 探検隊はDisko Bayで補給を行い、再探索を試みた。 しかし、氷は前年よりも厚く、当分の間、捜索を断念することになった。そこで、2隻の船は再びアメリカへ向かうことになった。 アドヴァンスは1851年9月30日に、レスキューは10月7日にニュー・ヨーク港に到着した
◎1851/10/7 ニュー・ヨークにて前の持ち主に返却され彼はすぐに次の北極探検のためにアドヴァンスの改装に取り掛かった
◎第二次フランクリン救出の準備には約20ヶ月を要した。アドヴァンスは、1853年5月30日にニュー・ヨーク出航し、海軍外科医助手エリシャ・ケント・ケーン Passed Assistant Surgeon Elisha Kent Kaneが指揮を執った。探検隊は、グリーンランドのUpernavikに立ち寄り、物資と、最も重要な、陸上と堅く凍りついた流氷の上を捜索するためのそり犬を購入した。更に北上し、8月7日にはBaffin Bayの北端であるSmith Soundに到達した
◎8月末には、最北端の北緯78-43'に位置するKane Basinに到達し、指揮官の名前にちなんでこの地名が付けられた。この時点で、ケーンは、南方の安全な港に戻るよりも、グリーンランド沿岸の小島群で冬を越すことを決めた。9月10日、アドヴァンスは氷に閉ざされた。船内は、これまでのどの探検隊よりも北で越冬するための大規模な準備が行われた。それが終わると、乗員はグリーンランド沿岸と氷の塊の両方の凍土を横断する探検を開始した。また、ケーン達は、気候の観測や天文学的な計算を行為の科学ステーションを設置した。しかし、徒歩での探検は、ほとんど全てのそり犬を病気で失ってしまったため、困難なものとなった。動物の輸送手段がないため、隊員自身が徒歩で捜索や探検を行い、将来、より遠くまで捜索出来る様に物資のキャッシュを人力で運ぶ役割を担った
◎1854年3月下旬のある探検で、一行のうち4人が凍傷にかかり、5人目の男の下に取り残された。残りの一行は、凍土の上を自分の体を引きずる以上のことは出来ず、助けを求めてブリッグに向かった。ブリッグに戻った一行のリーダーは、ガイドとして救助隊に同行する事を志願した。しかし、自分の体験が原因で一時的に精神障害を起こし、まともな救助活動は出来なかった。救助隊が任務を遂行できたのは、先遣隊の足跡を見つけたり、障害者の“野営地”跡に帆布のテントを見つけたりした幸運と、彼らの懸命な努力によるものであった。しかし、その成功も、救出された2名が病気で倒れたことで台無しになってしまった。救助隊員の疲労と病気の為、ケーンは4月末まで捜索を続けることになった。その間にイヌイットがやってきて、ケーンは彼らと物々交換でソリ犬を追加した。この4頭によって、7頭体制となり、捜索範囲が大幅に広がった ケーンの言葉を借りれば、“北極の氷の旅にこれらの動物の価値は計り知れない”のである
◎そののちの夏、捜索隊はグリーンランドの極北海岸とEllesmere Islandの東部海岸で、ジョン・フランクリン卿一行の証拠を探し、地理と気候に関するメモを作成した。アドヴァンスの乗員達は、冬眠に近い状態で2回目の冬を越した。前年の困難が彼らの体力を奪い、それを回復するにはあまりにも乏しい食料しかなかったからだ。壊血病という海の恐ろしい病気が彼らを襲い、ケーンともう一名の男は“......病人に付き添い、船の日常業務を遂行するために残るのみとなった”
◎1855年2月下旬に太陽が戻り、3月には野生動物が戻ってきた。適度な量の食料と太陽の光で、男達は少しずつ元気を取り戻していった。この時ケーンは、流氷の中で固く凍りついたままの船を捨てて、氷を越えてグリーンランド南部のデンマーク人居住区に向かうことを決意した。燃料や食料が不足し、乗組員も弱っていたため、やむを得ない決断であった。旅の準備は多方面に渡り、複雑なものだった。作業可能な者は、25フィート・ホエールボート2隻 25-foot whaleboatと13フィートのディンギー1隻 13-foot dinghyを準備し、鉄製木製ランナー iron-shod wooden runnerに取り付け、食料を積み込んだ。一方、ケーンは犬ぞりとチームを連れて、ブリッグから約35マイル離れたイヌイットの廃墟となった小屋に向かった。そこで、旅に必要な食糧を貯蔵するための前線基地が作られた。4月から5月前半にかけて、ケーンは何度か物資を運んで、その場しのぎの中継地へ向かった
◎1855年5月15日、彼は体の不自由な乗組員の輸送を開始した。その2日後、本隊は3台の船橇(せんり) three boat-sledsを使って氷塊を横断する苦難の旅を始めた。犬の助けを借りない本隊は、1日に3.5マイルしか歩けない。本隊が少しずつ進んでいる間、ケーンは犬の助けを借りて、ブリッグに戻ったり、船の南約75マイルにあるイヌイットのキャンプに行ったりして、より早い旅を続けた。この様にして、病人を移動させ、船から物資を運び、新鮮な獲物を持ってイヌイットの野営地から戻ってきたのである
◎1855年6月8日、彼は最後に船を訪れ、その月の半ばには、全ての病人が徐々にLittleton Islandに近づいていた本隊に合流した。Cape Alexanderに向かって南下する間、一行は春の雪解けとともに何度も氷を割られ、その度にケーンの犬ぞりで移動した。 の結果、少なくとも一名、大工長代理のオルセン Acting Carpenter Ohlsenが被爆死している
◎6月18日、一行はCape Alexander付近の流氷の縁に到達した。 31日間で81マイルしか走れなかったが、氷塊のために何度も迂回したため、実際の航海距離は300マイル以上になった。そこで、彼らはボートに乗ることにした。次の段階として、帆を張って海を渡る航海と、凍った氷の塊を渡る行軍を必要に応じて繰り返した
◎1855年7月21日、彼らはCape Yorkに到着し、そこからUpernavikへの横断を開始した。そこで、彼らは岩碑を建て、計画された行動に関する情報、手持ちの食料のリスト、探検の結果の簡単な要約を残した。プロジェクトが完了し、ケーンたちはMelville Bayを横断するために出発した。8月6日、ケーンは疲れ果てた一行を率いてUpernavikに到着した。彼らは、Upernavikからデンマーク船MarianneでDisko Islandへ向かい、そこでハースティーン大尉 LT. Hartsteneの指揮の下、北極とリリースからなる救援隊に出迎えられた
◎2隻の救援船は、1855年10月11日に生存者をニュー・ヨークへと運んだ
恐らく流氷に押しつぶされ、放棄されたアドヴァンスは沈没した
2007 フランクリンの謎の多い最終探検をもとにダン・シモンズ Dan Simmonsが「ザ・テラー 極北の恐怖 he Terror)」という冒険ホラー小説を書き上げた
◎Search for Franklin expedition north of Baffin Bay, May 1850-Aug 1851. Second search for Franklin expedition started, Jun 1853. Imprisoned in ice, Sep 1853, and eventually crushed. Crew finally reached open water, Jul 1855.


排水量:91t 乗員:16名
※ブリッグ
※補給船
艦名 NAME 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
レスキュー Rescue 1850/5 ◎1850 1845年5月に北西航路を求めてイギリスを出航したジョン・フランクリン卿ら不運な探検隊の追跡に使用するため、ヘンリー・グリンネルがアメリカ政府に貸与した
◎1847 提督は救援隊を派遣した
◎1850/5/1 になっても探検隊の消息がつかめないので、アメリカ議会は大統領にグリンネル氏の申し出を受け入れる権限を与えた。議会とグリンネル氏の意向により、2隻の船にはアメリカ海軍の志願兵が乗船することになった
◎5月22日、エドワー J. ド・ヘイヴン大尉が指揮する探検隊は、レスキュー隊長のサミュエル P. グリフィン中尉代理 Acting Master Samuel P. Griffinを副長としてニュー・ヨークを出航した。最初の数日間は単独で航行し、グリーンランドのDisko BayにあるWhale Fish Islandsでランデヴーした後、6月29日にMelville BayとBaffin Bayを横断してLancaster Soundに向かう北方ルートへ向かった
◎7月1日、Haroe Island沖で最初の流氷に遭遇
◎7月8日、Upernavikの北で氷に捕らえられ、そののち21日間、氷の中を強行突破することになった。29日に解放されたブリッグは、8月に入ってもMelville Bayの重い流氷の中を進んでいった。19日、彼らはLancaster Soundに入った。23日には、レスキュー隊はDevon IslandのCape Rileyの沖合に到着した。そこで、Griffinと彼の乗員は、イギリス艦隊の捜索隊と一緒に、以前、イギリス海軍の無名の一団が占有していたキャンプ地を発見した
◎26日、アメリカ探検隊はWellington Channelに入り、Cape Spencerの北を捜索しようとしたが、別のイギリス船と出会い、Cape SpencerとPoint Innesの間でフランクリン一行の痕跡が発見されたことが分かった。しかし、海峡の北側と西側のBarrow Straitは氷に閉ざされており、これ以上進むことができない
◎27日、英米の捜索船は、Beechey Islandの入り江(のちにUnion Bayと呼ばれる)に集まり、協調して捜索を行う計画を立てた。指揮官達が計画を練る中、陸上隊がCape Rileyの向かいにある島で3つの墓穴を発見した。フランクリンの最初の冬の宿舎が発見されたのだ。しかし、それ以降、ソリ隊が派遣されても、捜索はほとんど進まなかった。レスキュー隊は、フランクリンの船ErebusもしくはTerrorの一行がたどった痕跡を追って、ほぼCape Bowdenまで行った。さらにその先で、現在Griffinの名前が付いている湾を発見した
◎9月初旬には、西側の氷壁を突き破ろうとする試みが更に行われた
12日、Griffith's Island沖の嵐でレスキューの舵柄が割れ、13日、レスキューを曳航するアドヴァンスと2隻の船は、そのシーズンにアメリカに戻ることを目指し、東に向かった。しかし、14日、Wellington Channelの入り口の途中で凍結したまま捕まってしまった
◎漂流の冬が始まった 9月から10月にかけてWellington Channelを漂流し、Devon Island北部の半島を発見、グリンネルにちなんでこの島を名づけた
◎11月にはBeechey付近で風と流れに乗り、12月にはLancaster Soundを漂流した
◎1851年1月14日、彼らはBaffin Bayに流された
◎5月下旬、流氷がDavis Straitに近づき、6月5日、氷が割れ始めた。レスキューは修理し、アドヴァンスと別れた
◎7日、レスキュー隊は解放された
◎8日、アドヴァンスは氷を割った。両船はDisko Bayで補給を行い、8月に入ってから再捜索を試みた。しかし、氷は前年よりも重く、船も人ももう冬を越すことはできなかった。壊血病は発生したが、死者は出なかった。Baffin Bay北部で2度目の冬を迎えれば、再び壊血病が発生し、災難に見舞われることになる。 船は南へ向かった
アドヴァンスは1851年9月30日にニュー・ヨークへ到着
◎10月7日、レスキューが入港、後に持ち主に返却され2度目の北極探検のために改装
◎Search for Franklin expedition, May 1850-Aug 1851. Returned to New York and to Grinnell, Sep 1851.


排水量:95t 乗員:16名
※スクーナー
※補給船
艦名 NAME 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
フェニモア・クーパー Fenimore Cooper 1852
(1853/3/21?)
◎1852(1853/1?) ニュー・ヨークにて1852年建造のスクーナーSkiddyを購入し、tenderに改装
1859/8/23 神奈川湾にて台風により座礁、放棄


排水量:350t 兵装:24ポンド榴弾砲1門、12ポンド榴弾砲1門 乗員:45名
※セイルで3門砲艦
※補給船
艦名 NAME 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
ジョン P. ケネディ John P. Kennedy 1853 1855/10/31 ◎1853 ニュー・ヨークにて1853年建造の木造帆船Sea Nymphを購入し、tenderに改装
◎1855/11 香港にて売却


全長:36.57m 幅:4.41m 吃水:1.67m(depth of hull)

↑USS George Washington Parke Custis, a Civil War balloon boat. Image courtesy of Naval History and Heritage Command.
艦名 NAME 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
ジョージ・ワシントン・パーク・カスティス George Washington Parke Custis ◎ジョージ・ワシントン・パーク・カスティスは、1850年代半ばに建造された石炭運搬船で、1861年8月に海軍に購入され、サディアス・ロウ Thaddeus Loweが開発したガス発生装置を装備し、気球艇として使用するためにワシントン海軍工廠でジョン A. ダールグレン John A. Dahlgrenによって改装された。
◎1861年11月10日早朝、汽船クール・ド・ライオン Coeur de Lionはジョージ・ワシントン・パーク・カスティスを海軍工廠からポトマック河畔に曳航した。翌日、ロウはダニエル E. シックルズ大将 General Daniel E. Sicklesらを伴い、Mattawomen Creek沖の艀から試験気球で上昇し、3マイルほど離れたヴァージニア州沿岸の南軍を観測した。12日、ロウはこう報告した。“夕方、敵のキャンプファイヤーがよく見え、反乱軍がフリーストーン・ポイントで砲台を建設しているのが見えた”。この作戦と John La MountainのFannyからの上昇により、南北戦争中、偵察のために気球が広く使用されるようになり、海軍が将来、海上戦力の有効利用を拡大するために航空を使用するようになることを予見させた


Update 23/11/21